日本代表、伝説の守護神・川口能活選手が、現役を引退しました。
現役ラストマッチは、2018年12月2日。完封勝利で飾っています。
元日本代表で4大会連続でW杯に参戦した川口選手。GK史上最多となる国際Aマッチ116試合に出場しています。
そんな今回は、川口選手の伝説とも言える、アジアカップ中国大会のヨルダン戦は名シーンのひとつ!川口選手の神セーブ「奇跡のPK戦」を紹介していきたいと思います。
川口能活のプロフィール

・川口 能活(かわぐち よしかつ)
・1975年8月15日生まれ ・静岡県富士市出身 ・身長180cm ・体重77kg ・ポジション:GK ・利き足:右足 |
「キャプテン翼」の影響や兄のすすめがあり9歳でサッカーを始めた川口能活選手。
富士市内のスポーツ少年団でプレーしていた小学生時代は、ポジションを転々としていたが、小学4年生から本格的にGKに専念しました。
1988年に東海大学第一中学校に入学し、3年連続で全国中学校サッカー大会に出場。2年生と3年生の2度、大会優秀選手に選出されます。
1991年に清水市立商業高等学校(現:静岡市立清水桜が丘高等学校)に入学し1年生のときからレギュラーとして試合に出場。3年生のときには全国高校サッカー選手権で優勝を経験。
クラブ歴
・1994ー2000年 横浜マリノス
・2001ー2002年 ポーツマスFC(イングランド)
・2003ー2004年 FCノアシェラン(デンマーク)
・2005ー2013年 ジュビロ磐田
・2014ー2015年 FC岐阜
・2016-2018年 SC相模原
川口能活、アジアカップ中国大会
川口能活選手の奇跡のPK戦について紹介していきたいと思います。
2004年中国大会準々決勝「奇跡のPK戦」です。
大会が行われたのは、2004年の夏。当時の中国は、尖閣諸島をめぐる問題などで、猛烈な反日運動が巻き起こっていました。
そんな中アジアカップを戦う日本代表やサポーターにも影響が!
2004年中国大会の準々決勝では「日本×ヨルダン」が行われていましたが、スタジアムに駆けつけた多くの中国人がヨルダンを応援。
ヨルダンが攻めると歓声がすごく、スタジアムの観客が全てヨルダンを応援している雰囲気だったほど。
さらに日本サポーターに対しても、ブーイングや暴言、物を投げるなど被害があったようで、過酷なアウェーの光景…。
そんななか選手達は、日本のサポーターがひどいことをされていると知り、
「俺たちがまとまらないでどうするんだ」
と、日本代表の一体感がうまれたんだそうです。
川口能活「神セーブ」奇跡のPK戦とは
2004年中国大会準々決勝「日本×ヨルダン」
延長戦が終了するも1ー1の引き分けで決着がつかず、勝負はPK戦へ。
日本1人目の中村俊介選手、2人目の三都主アレサンドロ選手が、揃って外してしまいます。
荒れたピッチに足を取られボールを浮かしてしまい、ゴールを外してしまったのでした。
このときに主将だった宮本恒靖選手は、審判に掛け合ってサイド変更となることに。
これは異例のことだったようです。
もちろんこの時もスタジアムの大ブーイングが起こっていました。
3人目の福西崇史選手はPKを決めますが、ヨルダンの3人目の選手も決めてきました。
ここでPK戦は「日本1−3ヨルダン」と絶体絶命のピンチに。
4人目の中田浩二選手が外すと日本敗戦が決まってしまいますが、、無事決めてくれました!
そしてここで裏側エピソードが。
この時、中田選手が
「よっちゃん!ココ(気持ち)だ!」
と鼓舞してくれたようで、もの凄く助けになった勇気付けられたと川口選手は話していました。
あつい!
次、ヨルダンの4人目の選手がPKを決めれば日本が負ける状況ですが、ここから変わったようで、この時から顔つきが変わっている川口選手。
「止める」ことしか頭になくて、まわりの音も聞こえないくらい集中していたんだそうです。
そして、
止めた川口選手!
もう無の状態だったようです。無心ではなく。
ボールしか見えないんだそうで、相手の動きが目に入らないそうです。
相手のキックモーションとかに惑わされて、逆を取られたり反応が遅れたりするけどそれが一切目に入らない。
ジーコさんも
「PKの時はボールだけ見ろ」
と言われてたようです。
山をはったら決められるから「ボールを見て反応するしかない」とのことです。
ここで日本2ー3ヨルダン。
そして、やはり外せば日本敗戦ですが、5人目の鈴木隆行選手も見事決めてくれました!
ヨルダンの5人目を止めなければ日本敗戦が決まりますが、外し3−3に追いつきます。
日本6人目の中澤佑二選手がGKに止められてしまいましたが、ヨルダンの選手のPKを川口選手は止めました!
まさに守護神!
そして7人目の宮本恒靖選手が決めてくれたことで初めて日本がリード!
そして、止めれば日本勝利。
という状況で、ヨルダンの選手が外し、PK戦は日本4ー3ヨルダンとなり日本が勝利となりました!
史上稀に見る激戦に勝利した日本。
PK戦で先に2本失敗しているのに、川口選手の神セーブから勝利へ導いてくれた。
これが奇跡のPK戦と言われている名シーンのひとつです。
その後、準決勝ではバーレン3ー4日本で勝利。
決勝では、中国1ー3日本で優勝!
完全アウェーの重圧をはねのけ、日本サッカー史上初アジアカップ連覇を成し遂げました。
また、アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」と呼ばれたブラジル戦では、川口能活選手のファインセーブが続いたこともあり1-0で日本が勝利。
ブラジルが放ったシュート数は計28本に対し、日本のシュートはたったの4本だったとのことです。
「マイアミの奇跡は能活がいなかった成し遂げることができなかったです」と元サッカー選手の前園真聖さんがブログで思いをつづっていました。
川口選手の引退会見を見ると切なくなってしまいますが、
「選手としてではなく、また違った形で貢献したいという思いが強くなった」
と話していた川口選手を応援していきたいと思います。
ということで「川口能活の神セーブ!アジアカップ奇跡のPK戦とは?内容!」について調べていきました。
25年間の現役生活お疲れさまでした!